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寺子屋の日々 Days in Terakoya (てらこや新聞60号 亀井先生のコーナーより)

~ An Essay of Gratitude
記念号によせて ~


今回は、寺子屋開設10周年、「てらこや新聞」発行5周年、そして、60号記念号、また年度末ということで、トピックを挙げたらきりがなく、書き出しに困った。そこで、高専生アシスタントの卒業記念号でもあるので、彼の言葉から書き始めることにした。

「この塾のありがたみは、わかるまでに5年くらいかかりますよ。通っているときは厳しすぎて嫌なんですよ。」

私が悩み相談をしたときに、彼がなぐさめながらかけてくれた言葉だ。「5年か…」と谷さんとため息をついたが…彼も彼女も寺子屋開設年入学の生徒で、もう10年の付き合いになる。25年来の友人である竹川さんを除けば、どんな友人たちよりも、この10年の私の苦悩と喜びを知る人々だ。だから、彼や彼女がかけてくれる言葉には、なんとも言えない響きがある。毎日、矢の如く通り過ぎる時間を少し止め、私に深呼吸を促し、自分の哲学を忘れないように、原点を振り返らせてくれるかけがえのない人々である。

そして、先日この4月から社会人になる高専生アシスタントに、谷さんが「『今の小学生や中学生を教えるのは大変ですねぇなんて他人事のように言うけれど、あなたたちが社会に出て、会社で新人教育係くらいになる頃、入社してくるのが彼らだから、今放っておいたら、そのとき困るのはあなたたちよ』と高校3年生で寺子屋に通っていた頃、亀井先生に言われた」と言っているのを聞いて、ハッとした。すっかり忘れていたけれど、言ったことははっきりと覚えている。

そうだ、私は、社会は人のつながりで出来ていることを、そしてそのつながりの素晴らしさを、人々、特に子どもたちと分かち合いたくて、この仕事を選んだのだ。大切なことを忘れかけていたことに気がついた。

そして、今、そのつながりが危うい。少なくとも私にはそう思える。

「個性」「自分らしさ」「自己決定」などという聞こえが良く、一見きれいな言葉が、つながりの流れをせき止めているようにも見える。

「個性」「自分らしさ」「自己責任」という言葉で、大人たちは、子どもたちへの無関心をごまかし、自分たちの無責任さを隠そうとしているようにも見える。

今、多くの子どもたちが、「あなたの思うように」「君のしたいように」と言われ、中学3年生で自分の進路決定を行っている。彼らの多くが半ば投げやりになるのも分かる気がする。それは、「あなたの思うように」「したいように」という言葉は、彼らの意思を尊重した理想の決断に思えるけれど、子どもたちから見れば、社会のことも何もわからないのに、社会に放りだされることを意味する。

今、子どもたちの受験だけではなく、勉強のお手伝いをしていて、ときどき子どもたちがかわいそうになる。子どもたちの多くが、成績のために勉強をし、何も身につけようとしないように見えることが多いからだ。

受験…さまざまな意見があるだろうが、私は高校受験も、大学受験も子どもたちが自分と自分の将来に向き合うとてもいい機会だと思っている。そして、定期試験も大切だと思う。けれど、点数のために勉強することは実りをもたらさない。今、勉強について大切なことが子どもたちに伝えられていないようで、悲しい。

勉強は自分のためにするものである。そして、それは、子どもたちの義務ではなく、権利だ。教育を受けさせる義務があるのは、大人たちで、子どもたちに受ける義務はない。しかし、与えられた権利をムダにしようとしている子どもがいかに多いかに気がついたとき、私は、塞ぎこみそうになる。

子どもたちの多くが、何か勘違いをしている。権利の主張は自分でしなければならないことを知らないようだ。「授業が面白くない」、「先生の説明が下手」「先生の考え方についていけない」…わかる努力を、ついていく努力を、自分たちはしているというのか。教科書など読んだことがない、または授業中寝ている人に限って、こういうことを言う傾向がある。与えられた権利を、行使するのは自分たちなのだ。

そして、大人たちが、何か大切なことを忘れている。大人たちには彼らに教育を与える義務があるのだ。彼らに課題を与えるのは先生という立場の人間だけがすることではない。

私は、この場で、保護者の方々にお願いしたい。子どもたちの進路は自分たちで決定するのが望ましいけれど、大人が彼らにきちんと自分たちの思いや考えを日頃伝えていないのに、15歳で人生の決断をすることがいかに難しいかを考えてほしい。学校や塾に、情報を求めることは必要なことだけれど、人生の「いろは」は、学校や塾だけで教えることは不可能だということを、親であるからには認識してほしいと思う。子どもたちが、自分たちの権利をしっかり主張するために、必要な心構えを説くのは、保護者の皆さんの役目だということを忘れないでほしい。

わが両親も、私が望めば「君の思うように」「あなたの好きなように」と私立中学への進学も、2度の米国留学も、東京での学生生活も許してくれた。しかし、無条件に許されたわけではなかった。私は、中学進学時に「自分が選んだ学校なのだから泣き言は言うな」と釘を刺され、また、なぜ海外留学が私の人生に必要で、東京の大学には何を学びに行きたいのか、しっかり説明する義務を課されていた。当時の私は、サポートを受ける以上、それが当たり前のことだと思っていた。当たり前であることを日頃両親から教わっていたのである。両親に納得してもらうことは、難しいこともあり、面倒でもあった。しかし、納得してもらったあとの全面的な協力はメリットだし、説得する過程での発見は目の前の扉を開く鍵となった。目の前に見える市立中学校ではなく、私立中学に通う過程で、私は自らの選択が正しかったことを証明する力を得ていた。

子どもたちの心の空洞は、年々大きくなっているように思う。谷さんが寺子屋の長女なら、寺子屋の長男とも言える高専生アシスタントのご両親は、何も言わず私たちに彼を預けて下さったけれど、節目、節目に、彼の口からお父さん、お母さんの言葉が出ていた。彼の好青年ぶりと、ご両親の影に、この10年間私は何度救われただろうか。もちろん、同じことが谷さんにも言える。10年間、私がこの仕事が続けられたのも、彼らの心に空洞が見られないのも、ご両親をはじめ、彼らの周囲の方々のおかげである。私は、このような人々の思いを裏切らないようにこれからも精進したいと思う。そして、彼らにもそれぞれの分野で精進して欲しいと思う。

Thank you so much for everything!

(Y.K)
by terakoya21 | 2010-04-04 21:44 | 寺子屋の日々

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