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あとがき (てらこや新聞55号 亀井先生のコーナーより)

先日、ジョニーと父に留守番をしてもらって、母とともに、岐阜の姪たちの運動会を見に行ってきました。年長の姪が保育園に入園してから3年目になり、この運動会見学が、秋の恒例行事として定着していますが、行く度に私は、現在の日本で自分の子どもを持つことはやはり無理だろうなというさびしい実感とともに三重県に戻ってきます。

なぜかといえば…運動会で見える保育園を取り巻く環境、とくに大人の様子が非常に刹那的で、私はこのような状況に万が一にも我が子と自分を置くことを考えるだけで、ノイローゼになりそうだからです。保育園の先生を含む子どもたちを取り巻く大人の言葉使い、そして、競技の進行の仕方、子どもたちの他人に対する態度、競技の進め方などなど…。毎回、我が生徒たちの言動と照らし合わせながら、大人に反省を促す必要性を感じ、帰路に着きます。

子どもたちの学力低下も、人間関係の希薄化もこんな早くから基礎となる原因は作られているのではないか…と思うのです。保育園の先生が子どもたちに話す言葉…子どもだからと必要以上に幼稚で、陽気な話しかけ方をする先生方に私は毎回がっかりします。子どもは 可能性の宝庫です。でも、その可能性の芽は、荒れ果てた土地では、育たないのです。だから、まずは家庭で、そして保育園(幼稚園、保育所)で、また、小学校で、中学校で、その土地を耕すのです。その家庭や保育園や学校を取り巻く大人たちが、テレビさながらのトークをしていたとしたら、子どもたちの言語能力は発達しません。言葉は全ての基礎です。そして、幼い子どもたちの口から出る軽く、ときに汚い言葉に…私は、呆然と立ちすくむことが増えてきました。

今回の運動会で衝撃的であり、かつこれをあとがきの題材にしようかと思わせた大人たちの言動がいくつかありましたが、その1つは、恒例の保護者競技「綱引き」に、1割ほどの参加者が「軍手」を用意していたことです。また、それに対する他の大人たちの反応が「気合が入っている」であったことです。よく考えて下さい。子どもたちにも「綱引き」の種目があり、また、私たちもほとんどが経験のある競技だと思いますが、アレルギーやケガがあり、綱を直接触れないという理由ではなく、手が痛いからとか、すべるからと言って「軍手」が許されるという発想を皆さんはお持ちですか。「気合」という言葉と、ゲームの結果に私は、同世代の大人たちのあさはかで、短絡的な発想に悲しみまで感じてしまいました。

一方、この発想、単に苦笑して終わらせるわけにはいかない気がするのです。それは、多くの人々が「気合がある」と片付けているからです。今、日本は「一生懸命やっている」ことや、「頑張った」ことが、言い訳に、免罪符にもなるような社会になりつつありますが、私は、「一生懸命する」ことも「頑張ること」も本来当たり前のことのように思います。それは、心が強い、弱い、実力がある、ないに関係はありません。皆、自分のできる範囲のことを一生懸命するから社会が成り立つのです。「頑張った」だとか「一生懸命した」だとかという評価は、他人がするもので、自分が言うことではありません。そして、一生懸命すれば、頑張れば、全てが許されるわけではありません。期日が決まった仕事を、一生懸命したけれど、期日に間に合わなかったとしたら、それは、 やはり、社会人として失格です。そして、自分のその仕事にかける意気込みが人一倍強いからと言って、目標達成のためなら何をしてもいいということではありません。

そして、考えてみてください。前述の「軍手」…これを子どもたちが自分たちの綱引きに用いようとしたら、先生方は、止めるのではないでしょうか。そして、「お父さんも使っていたから」と言われたら、どう答えるのでしょうか。子どもたちの運動会です。お父さんたちが、そんなに「気合」を入れていること自体が異常だとは思いませんか。今一度、自分たちの行動を見直してみませんか。

失敗してもかまわない、人生、成功ばかりではないから面白いのです。楽しいことも成功も、苦しみと失敗があるから喜びであるということを子どもたちの元気な姿に教えられました。その一方で、世の中には、いろいろな家庭があり、その家庭を取り巻く環境の変化に、いろいろな制度や名称が変わりつつあるものの、その中に人々の心が入らないと、誰も幸せになれない。自分の幸せも成功も、他人の失敗や不幸があるから成り立つものではなく、自分自身の失敗と不幸の歴史により、もたらされるものである。そんなとても単純だけれど、非常に大切な何かを忘れかけている大人がいかに多いかを思い知る運動会でした。

さて、いつものように最後になりましたが、連載の皆さん、今回も原稿をありがとうございました。毎回、送っていただく原稿はもちろんのこと、その原稿に添えられているメッセージを楽しみにしている私ですが、先日同じように「てらこや新聞」送付時につける添え書きを楽しみにして下さっていると読者の方に言われ…長い文でも、短い文でも、込められた心は、通じていくと…改めて教えられています。

連載の皆さん、そして読者の皆さん、これからもどうぞよろしくお願いします。

(Y.K)
by terakoya21 | 2009-11-21 20:05 | あとがき

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