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寺子屋の日々 Days in Terakoya (てらこや新聞53号 亀井先生のコーナーより)

~ 幸せの秘訣 ~

「今、幸せですか。」と聞かれたら、私は「はい。」と胸を張って答えるだろう。かといって、世の中で言われるいわゆる「女性の幸せ」は、何一つ手に入れていない。それでも、「幸せ」だと感じることは多い。私には、厳しいけれど愛情にあふれる両親がいて、毎日打ち込める仕事がある。そして、かわいい愛犬ジョニーがいて、毎日私の作るお弁当を心待ちにしている少年もいる。そして、何より日々、私を笑わせ、怒らせ、喜ばせ、叫ばせ、ときには悲しませるけれど、楽しませることの方が多い生徒たちに囲まれ、生活のどの場面でも、多くの人々に支えられていることが私の幸せのもとである。

映画「タイタニック」の中で、主人公ジャックが「健康な体と(絵を描く)白い紙」があれば、「何が起こるかわからない」この人生も、十分幸せである…というようなセリフで、貧乏人を見下すように放たれた質問に応じている。

私自身、「何が起こるかわからない」人生は、遠慮したいけれど、ジャックが言うように、人生は自分の物事の捉え方次第で幸福か不幸かが決まるのだと思う。そして、幸せだと感じている私が、世の中の不幸せを自分ひとりが背負い込んでいるかに感じている人々と、今道に迷っている子どもたちにアドバイスができるとしたら、このジャックの考え方とは正反対かもしれないが、「自分を社会の中に置くこと」をオススメする。そして、その社会で、できるだけ多くの自分の地位と役割を作ることをオススメしたい。

私の仕事は「先生」と呼ばれる仕事だけれど、「先生」の意味には、文字通り「先に生まれた人」という意味が 含まれる。だから、私は、先に生まれた人としての役割を生徒たちに果たしているのだといつも思っている。そして、世の中の人々は皆、多かれ少なかれ、この役割を負っている。

また、私は、この先生という立場以外に、娘、経営者、妹、上司、教え子、姪、叔母、いとこ、友などの立場を持っている。所属する社会によって私の立場と役割は違い、幼い頃は、孫でもあったし、生徒でもあった。親にとって、従業員にとって、生徒にとって、恩師にとって、甥にとって、姪にとって、友にとって…私は、どんな人間だろうかと考えたとき、おそらく、私はそれなりに価値のある人間だと思う。私の仕事である「教えること」は、知識を伝えることで、その知識を知りたい、わかりたいと思う生徒がいる限り、私は、社会で価値のある人間であると感じることができる。

うぬぼれかもしれない。でも、私が1週間何も告げずにいなくなったら、慌てふためく人がいて、私が今死んだら、悲しむ人が2人以上いる。それで十分だと思う。

人は1人1人、皆、社会で何らかの役割を果たしている。娘としての役割も、経営者としての役割も、同じように大切な役割で、その役割を果たすことが生きていくことである。また、人は、1つの役割だけを持つわけでは なく、どの役割もそれぞれ大切な役割である。役割の数だけ、自分たちの生活も充実していく。

そして、不幸せだと思い込んでいる人々は、その役割の大切さに気がついていないのではないか。その中の多くの人々が、他人の役割も理解できていないのではないかと思う。

そして、今生活が楽しいと感じられる子どもたちも、楽しくないと感じている生徒たちも…彼らの周囲の大人たちも、社会で与えられている「役割」があまりにも限られていて、ときどき私は、不安になる。

「母」も「父」も「妻」も「夫」も、必ず誰かの「娘」か「息子」だ。そして、外に出れば、誰かの「友」であり、「おばさん」であり、「おじさん」であり、「社会人」である。「子」は、外で「学生」であり、「生徒」であり、「友」であり、「児童」であり、「若者」である。

そして、今の自分が他の人にとってそれなりに役に立つ人間であれば、十分有難く、十分幸せではないかと私は思うのだ。…付け加えるなら、子どもたちは、そこにいるだけで、親たちには大切で、役に立つ存在である。私には、生徒たちがそうである。

先日、松阪のショッピングセンターで幼馴染のお母さんに、5、6年ぶりぐらいにばったりと会った。彼女にとって、私は、息子の幼馴染、幼い頃から知っている近所の女の子である。話しながら、私は、いろいろな人に支えられてここまで来たことを改めて感じた。「おばさん」と私が呼ぶこの女性に出会えたことがなんだかむしょうに嬉しかった。同時に、この「おばさん」たちに私がしてもらったことや教えてもらったことを、次に伝えることが私の恩返しだと再確認した。

進路に成績、友人関係に恋愛、思春期、青年期を迎えた子どもたち、若者たちも、不況に減給、人間関係に家庭、更年期を迎える私たち(~_~;)も…今ある自分をいとおしみ、感謝する気持ちを…忘れないでいてほしい、忘れないでいたいと思う。

ちなみに、前述のジャックも、根無し草の生活が「幸せ」だと感じていたのに、ローズと出会い、自分の価値を見出し、彼女を助け「幸せ」を感じながら海の底に沈んでいく…。おそらく純粋な若い心にこの映画は「悲恋」 なのだけれど…ジャックは、ローズの心の中で永遠に生き続け、ローズは天寿を全うする。…私にはこの映画は、初めて見たときから「ハッピー・エンド」だった。

小さな幸せの欠片は、おそらく身の回りにたくさんちりばめられているはず。「ため息をすると幸せが逃げる」と言うけれど、「逃げる幸せがまだある」ということでもある。

物事、やはり捉え方、感じ方次第である。(Y.K)
by terakoya21 | 2009-09-08 15:32 | 寺子屋の日々

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